みんなちがってみんないい。

そこら辺にいるオタクの偏った思考の一部

夢を追うこと。~青春の1冊~

 

 

はぁ~彼氏いねえ!お金もねえ!自分の未来に希望はねえ! 

 

↑な現在eighterでスト担な女が綴る私と彼らの青春話です。

 

※内容的にはハンパなく重いです

 

 

 

 

あの頃は夢がありました。

 

当時Jr.の頂点で活躍していたB.I.Shadowの中でもトップクラスの人気を誇っていた中島健人くん、菊池風磨くんのSexy Zoneとしてのメジャーデビュー。

そしてそこにはJr.に入りたてホヤホヤと言っても仕方がない芋臭ハンパない3人が同じグループとして紹介されていたのです。

 

寝起きで朝のワイドショーを見ていた私にとってそれはとっても衝撃的で、その場に居合わせた母や姉に

 

「これは革命時代だ」

 

と大騒ぎした記憶があります。頭の中を駆け巡る滝沢秀明…愛・革命。…黙ります。

人気グループを解体させてでも事務所はこのグループを売っていくんだ。覚悟を決めなければ。

しかもバックにはその当時まともに見たことがないJr.がわんさか。こやつらも東京の中で選抜されてグループ組んで売れていくんだろうな。そう漠然と思っていました。

 

 

 

 

私が熱心なJr.担だったのは2011年5月~2015年4月までの短い間でした。しかもデビュー組の関ジャニ∞との掛け持ち。

もう関西という沼にどっぷりハマってその当時私が好きだったのは関西Jr.(中でも7WESTとVeteran)。

一言で言えば本当に芋臭い。東京と比べるとここが俺たちのホームなんやで!感がすごく強い。

でも懸命に前を向きながら頑張る彼らはとってもキラキラしていてとても魅力的だったのです。

彼らを応援するのは私の何もやることのない私にとっての青春だ~!!!ぐらいの話で。

 

「もうきっと彼らのデビューはもうすぐだ!明るい未来は近いぞ!」

 

あの頃の単純脳の私はそう思っていました。

 

でも、そんな時代もすぐ終わりを迎えてしまいます。

東京のように少クラに毎月出れるわけではない。デビュー組が関西に来たらバックにつく。あって松竹座。あって少クラin大阪。

応援を始めてから半年もせずに1人、また1人と誌面から消えていくのです。

 

初めのうちは本気で泣きじゃくっていました。

 

もう二度と輝く彼らには会えない。

もう二度と彼の笑顔を見ることができないのかもしれない。

もう二度とこのグループでの活躍を見れない。

 

そう思うととっても悲しくて毎月出るドル誌を買うことが恐怖でした。

いっそ関ジュから降りてしまおうか。

こんなに辛いのなら関ジャニ∞だけに専念してしまおうか。

 

でもいつの日からかそんな悲しみに暮れることも少しずつなくなっていきました。

2013年頃からは辞めジュさんたちが青い鳥を始める人も増え、新境地で頑張ってるねおめでとうと思えるようになったこと。

もうひとつは、現在のSixTONES、その当時バカレア組と出会いでした。

 

その出会いとは突然に訪れたのです。

その時偶然パラパラ~とめくっていたら色白美青年を発見。

なんじゃこいつ。全く芋臭しねえな。

ロイヤルかよ。金持ちかよ。え?まだ18歳?

えーっと名前が…京本大我。東京のJr.か。

…これあれじゃん。父ちゃんすごい人じゃん。

 

…気になる。そしてかわいい。

 

そんな単純な動機からでした。

そこからはまあ早い早い。新幹線?のんのんのん。リニアモーターカーレベルで京本大我のお勉強。しかもバカレアが始まったのは私の誕生日(4月14日)。おお神よ。私ついに運命のグループ見つけました。

 

余談ですがその頃の京本くんって本当に無口で何考えているかわかんないっていう勝手なイメージを持っていました。あんまり笑っているイメージもないし…。

ただ本人がその後、しゃべるとバカがばれるからとおっしゃっていたのでなるほどなと納得しました。

ただ知っていけば知っていくほど彼はすごくおもしろくて、とても新鮮に感じたのです。

 

そしてまた私は思ってしまいました。

 

「バカレア組ならきっとすぐデビューできる!」

 

きっとあの頃のバカレア組を応援していた人たちは皆同じ気持ちだったんじゃないかなって思っています。

今でこそ違いますが、その頃はふわっふわ系のメルヘンファンが多かったのです…

事務所から推されまくって、誌面に大きく取り上げられて。

当時のJr.のトップと言っても過言ではない感じだったんですよね。

6人集まれば最強!みたいな。

 

でも、それも甘い考えだったのです。

気がつけば解体。ジェシーと北斗くんが北ジェとして少クラに出ていたりドラマに出ていたり。

事務所に推されているグループもまた変わってきたのがこの頃でした。

おかしいな?京本くんは?これまたわけわかんないメンツと少クラに出てる。雑誌に載ってる。なんだこれは。メディア露出少なくない?

 

 

またデビューの夢は叶わないのか。

 

 

この言葉が頭をよぎりました。支配しました。

とりあえず一旦離れよう。そうしたらきっといい未来があるかもしれない。

でも彼らの最後は見届けたい。だとJr.を応援していた方がいいはずだ。

そうして私は懲りずに、Jr.を応援するのはこれが最後と決め、また関西に戻ってみようと決意したのです。

 

そうして最後に応援したのがKinKanでした。

その時私は初めて少人数グループというものを応援しました。

初めは物足りなさもありました。大人数グループあるあるの

「自担はどこだ。あ、いた。」がないからです。

でも、それがないのでパフォーマンスに集中できたというのはとても新鮮でした。

歌もダンスも3人の世界観がはっきりしていて、見ていてとても楽しかったのです。

ジャニーズWESTがデビューして、もう彼らの時代が来るんだな。今後が楽しみだな。

そう思っていた矢先のことでした。

 

私がJr.担を1度辞めた時期は2015年4月。そう。自担の卒業でした。

その知らせを聞いたとき、全ての終わりを感じました。もう立ち直れない、何も信じられない。

 

そうして私はそっとジャニーズJr.というものから離れました。ドル誌も買わない。義務化していた少クラも見ない。日曜の朝の番組も見ない。その頃使っていたヲタ垢も消しました。

私今でこそびっくりしてるんですけど、あの頃は本当にJr.に依存しまくってたんです。切らしたらもう何もできない、みたいな。

そんな状態だったのに、意外とあっさり離れることができて、思ってたよりもメンタル食らってたんだなって今更ながら思っています。

 

 

そして時は経ち半年以上前。

もういい加減懲りただろって自分でも思ったのですが、今度はバカレアではなく、SixTONESのファンとして、スト担としてまた戻ってまいりました。

 きっかけは友だちに見せてもらった少クラ。BE CRAZYを聴いたとき、あまりの成長ぶりに泣きました。あの当時の面影を残しつつ、私の知っていた彼らの何倍も逞しくなったように感じました。離れてからたったの1年半で彼らは正式にグループを組み、活動の幅を広げ、お互いにお互いを、原石を磨きあっていたのです。

 

もう何も恐れることはない

一緒に夢を追っていこう

 

 

そう強く思わせてくれたのです。

 

私にとって夢を追うこと。

彼らの成長に携わり、今後を見届けていくこと。

新しくやりたいことを見つけたときにそっと背中を押してあげること。

 

もうきっと夢をなくすことはないと信じています。

 

新しい毎日に幸あれ。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

yanagi.